2012年10月2日火曜日

茹で上がった商業教育の行方

今話題の「WorkShift」を読んだり、元Appleの松井さんの話から、「ゆでガエルのたとえ話」がとても気になる。
カエルを熱湯に放り込めば、熱くてすぐに飛び出すが、冷たい水に入れてゆっくり加熱していくとどうなるか?
カエルはお湯の熱さに慣れて、飛び出さない。しかし、最後には茹で上がり死んでしまう。

人は急激な変化には気がつくがゆっくりと変化して行くものにはその変化に気がつかない。
そして変化に気がついた時には、もうお終い、というお話。

日本における高校の商業教育は、まさにそういう状態です。ゆでガエル状態。

この社会の変化に対応ぜずに茹で上がっている状態を変えるには、商業教育のベクトル変えて、教員カエル(替える)しかない、と思っている。

就職、進学を今の状態で対処療法的にパッチ当てながらやっててもダメ。
抜本的に変えないと。
普通高校の中に入っていき、キャリア教育と専門教育に特化するべき。
商業という教科の枠組みがまずもって古く時代にミスマッチ。
会計、情報、マーケティングの3教科に分かれ、そこから科目に分かれた方が良い。
一度解体して、再構築しないといけない。

教員の採用に当たっては、会計なら日商2級取得者以上が採用の最低要件。情報なら基本情報技術者以上、マーケティングなら販売士検定くらいの専門性を求めていいんじゃないだろうか。
もちろん専門性は上記以外にも、もっと細かく見ていくことも必要だろう。

商業教育を守ることが大事なのではなくて、これから社会を長く生きる子どもたちがどういう知識や考え方を持って高校を卒業出来るかが大事。

商業高校がなくなっても、それは自然なこと。
商業教育やビジネス教育というネーミング、ミーニングよりも、コンテンツを考えないと。未来を見据えて具体的に。
そういう時期はとっくに来ている。
気がつかないのは年寄りのゆでガエルだけではない。
僕らの思考停止が一番の問題。

2012年7月16日月曜日

未来を想定しない・できない学校教育を変える

僕は日本の高校で教員をしている。
現場の教員である。
現場というのは、生徒がいて、生徒の実情に応じて、教育が施される。
生徒は当然一人ひとりが違うので、その生徒に応じた教育を施すのが最も良い。
発達段階や課題が一人ひとり違うので、それに応じた対応をする必要がある。
多くの教員は、そういったことを念頭に置きながら自分の目の前にいる生徒をより良くしたいと思い、考えて、実践している。

良い教員というのは、よく観察している。
生徒の表情、仕草、目の動き、話し方、行動を。
観て、気になることがあれば、声をかける。
生徒と話をすることで、何が今必要なのかが分かることが多い。
話をすると当然時間がかかるのだが、それが一番の仕事だと思う。
昼休みも放課後も個人面談をしていることが多くある。

しかし、現場には、事務仕事もまたものすごく多い。
授業や成績処理などの生徒に近い事務仕事だけでなく、県や国からの報告書やアンケートや調査などが多くあり、検定や教材費の経理などもこなさなくてはいけない。
これはどんどん増えていっている。
生産性を上げて対応するしかないのだが、塵も積もれば山となることが多い。

高校の教員の仕事は大きく分けて4つある。
まず第一は、授業。
これは何よりも優先される仕事である(はず)
生徒の教科・科目に対する興味関心をどうすれば高められるか、どう工夫・改善すれば伝わるのかを考えている教員は多い。
40人では多いのでそれを半数やそれ以下にして行う少人数授業や、40人を2人で見るチームティーチングなどももうずいぶん前(20年以上前)から行われている。
次に、クラス運営。
担任を持っていなくても、そのクラスに副担任や学年主任や科長(特に専門高校)として関わることが多い。
その次に部活の仕事。
運動部は、土日も休まない部活が今でも多い。
文化部でも休まずに練習をする部活も当然ある。
そして最後に分掌の仕事。
これは表に出ないので見えにくいのだが、教務(成績関係の処理等)総務(PTAや広報等)生徒指導部(喫煙等の問題行動に対応する部)進路指導部(生徒の進路に関する部)などその他にも多くの仕事がある。

これらの仕事は、すべて次世代を担う生徒の将来のためにあるはずである。
しかし、残念なことに現場では目の前のことに精一杯で日本の未来などを考える余裕はない。
そもそも教員は、そんなことは考えなくてよくて文部科学省の学習指導要領や通達に従って学習指導や生徒指導していればよい、と考える人も多い。
現在の日本企業・日本社会が必要としている人材を養成しているのが、現在の日本の教育機関である。

だが、しかし、本当にそれでいいのだろうか?
いまの日本社会は、これから先もこのままだろうか?
少子高齢化が進み、国のあらゆる保障制度が崩壊している中、2・30年後の未来にいまの日本社会が維持されているとは到底思えない。
いま18歳の子どもたちが38歳、48歳になった時に、自分たちが受けた教育はいま役に立っていると思える教育が今出来ているだろうか?

僕はいま日本の未来に関する書籍や情報を得ようとしているのだが、どれも一部のエリートが生きる社会だけの情報しかない。

いわく
英語と中国語ともうひとつアジアの言語を覚える。
ITスキルをあげる。
ディベート力や対話力をつける。
世界的な教養を身につける。
公認会計士や税理士、医師、弁護士などの資格で勝負できる資格を身につける。
などなど。

エリートは人口の数パーセントしかいない。
ほとんどの人は、上記のようなスキルは自力では身に付かないと思う。
2・30年度は環境が変わっているので、必要に迫られて語学については向上しているとは思う。上司が中国人やインド人や欧米人や韓国人や東南アジアの国の人ということが多くなるだろうし、取引先の割合も国外が多くなるからだ。

しかし、それでも、エリート以外のその他大勢の人の生き方が見えてこない。
非正規労働者が増え、将来設計ができない人が増え、そもそも将来設計なんてできるってことが終身雇用や年功序列というすでに崩壊しつつあるシステムが前提なので、そんなものは本来できない。
それなのにキャリアプランやキャリアデザインなんて耳障りの良い言葉は蔓延っていく。

あらっ、愚痴っっぽいことばかりになってきた。
いかん、違うんだ。
このブログは、前向きのはずなんだ。
未来は、明るい!と言いたいのだ。

思考を変えなくてはいけない。
「安定」ということを勘違いしているからこうなるのだ。
社会に出たら、基本誰も自分を守ってくれない。
「安定」したければ、国や企業に頼らずに実力で仕事ができるようにならないといけない。

自分の武器になるものは何か?

厳しい時代だからこそ自分たちがレベルアップできるチャンスもいっぱいあるわけだ。
未来が分からないから未来を思考できる楽しみもあるわけだ。
いろいろ考えて挑戦してみたら面白い。
それを生徒に伝えていきたい。
言葉だけではなくて、自分自身で行動として示しながら。

未来は完全には予想できないが、ある程度推測ができてそれに備えることは出来ると思う。
まだ全然何もわかっちゃいないけど、勉強し学び、考え続け行動していくのでよい情報や考えるヒントがあったら教えて下さい。
よろしくお願いします。